行動美術協会とは
趣意書・沿革
趣意書
行動美術協会は、自主的かつ独自な在野美術家集団として、個性的な芸術主張とその発表の自由を尊重しつつ、各自の不断の努力と研究によって、常に、その芸術の向上を目指して広く美術文化に寄与しながら今日の発展をみた。
又、本会は、公募制展覧会の開催に際しても、この理念に適合する有為な人材の発掘とその紹介に努め、公正にして良心的な展示をしてきた。
かくて、常に今日的社会の実現に息づきながら明日へに美術活動の展開こそ本会の使命であることを自覚して、その実現のため全力を尽くすことを期するものである。
1945年(昭和20年)11月
設立会員
- 向井 潤吉
- 柏原 覚太郎
- 小出 卓二
- 田辺 三重松
- 田中 忠雄
- 高井 貞二
- 伊谷 賢蔵
- 榎倉 省吾
- 古家 新
創立 昭和20年
8月15日敗戦。同時に一部の旧二科会有志の間に二科会再建の運動が起りはじめたが、吾等9名は戦後の時代に適合し理想に充ちた新団体の結成こそ志すべきであると考え、11月、行動美術協会を創立。之を発表した。当会の名称は柏原覚太郎の発案によるものである。事務所を向井潤吉方に置く。
結成の辞
戦いは終った。吾々は新しき文化の黎明を迎えようとしている。
戦争中を躬をもって果敢に生きてきた吾々は更にそれに数倍する責任の重大きの自覚に立って、美しき愛情と新鮮な勇気とに結ばれたもの、今ここに行動美術協会を結成して力強く踏み出すこととなった。吾々は解散に到るべくして解散した旧二科会の復活には何等期待するところがない。
吾々は新生日本美術を樹立し世界文化に貢献せんとするの熱意に燃えているものであるが、徒らなる論議よりも先つ行動、逞しく黙々とこの道を邁進せんとするものである。
昭和20年11月5日
備考
昭和19年。すでに太平洋戦争は破局化、敗戦必至の情勢であったが、「美術展覧会取扱要綱」の下では到底自由な美術活動は不可能な実状に陥った時点に於て「二科会」全会員一致の合意の下に大正初期より30年の光輝ある歴史を閉じ、解散宣言を行い終止符が打たれた。日本美術史の流れの中で最も暗く、不毛の時代であった。そして翌20年夏、終戦。私たちの新たなる時代の光明を求めての再出発がはじまった。戦後の再建二科は旧二科の名秩のみを踏襲する新団体である。